箴言20章6節

多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけよう。

<関連聖句>

1.ダニエル書6章1節—4節
2.ルカの福音書19章11節ー27節
3.ヘブル人への手紙2章18節—3章6節
4.ヘブル人への手紙5章7節—10節

<メッセージ>

今日の聖句が「多くの人は自分の親切を吹聴する。」と語っているように、世の人々は「こうしてあげた」「ああしてあげた」と言って生きている人が多いのではないでしょうか。

イエス様はキリスト者に「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。

そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。

まことに、あなたがたに告げます。

彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

あなたの施しが隠れているためです。

そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

(マタイの福音書6章1節—4節)」と、どのように施しをするべきかを教えられました。

今日の聖句の後半は「だれが忠実な人を見つけよう。」と語っています。

黙示録2章—3章にはイエス様が七つの教会に宛てた手紙が書かれていますが、イエス様から「少しばかり非難すべきことがある」と言われなかった教会はスミルナとフィラデルフィアの二つの教会だけで、スミルナの教会に「あなたがたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。

見よ。

悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。

あなたがたは十日の間苦しみを受ける。

死にいたるまで忠実でありなさい。

そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう(黙示録2章10節)」と、忠実に生きることを勧め、フィラデルフィアの教会には「わたしは、あなたの行いを知っている。

見よ。

わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。

なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

(黙示録3章8節)」と、教会がみことばに生きていることを語っています。

ルカの福音書19章には、しもべたち各自に一ミナを与え「私が帰るまで、おれで商売しなさい。」と、言って王位を受けて帰るために遠い国に行ったある身分の高い人は帰宅すると金を与えておいたしもべたちどんな商売をしたかを知ろうとしもべたちを呼び出すように言いつけたので、最初の者が「ご主人さま。

あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。」と言うと、主人は「よくやった。

良いしもべだ。

あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。」と、二番目の者が「ご主人さま。

あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。」と言うと「あなたも五つの町を治めなさい。」と言われましたが、「ご主人さま。

さあ、ここにあなたの一ミナがございます。

私はふろしきに包んでしまっておきました。」と、商売するように言ったにもかかわらず、商売をしなかったしもべに主人は「悪いしもべだ」と言われました。

なぜなら、主人のことばを実行しなかったからです。

忠実なしもべとして生きるためにみことばそのものを心に据え、みことばで生きようではありませんか。