また、祈る時、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれる と思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6章7節ー8節)

1.創世記3章1節ー31節
2.士師記13章1節ー5節
3.ネヘミヤ書2章1節ー10節
4.ヘブル人への手紙7章24節ー28節

エルサレムが悲惨な状態にあることを知り、キスレイの月からニサンの月までの五ヶ月間祈り、「ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」と祈り、実際アルタシャスタ王から「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」と言われたネヘミヤがエルサレに行って城壁を再建したい旨や王からの手紙や材木が欲しいことを申し上げると、王はその願いをかなえてくださった理由を「私の神の御手が私のあったので、王はそれをかなえてくれた。」語りましたが、王はネヘミヤの願いだけでなく、守りのために彼が願わなかった将校たちと騎兵をも与えられたのでした(ネヘミヤ書1章ー2章9節)。イエス様は、祈るときには偽善者(マタイの福音書6章5節)のように人からの栄誉を求めるような祈り方でなく、異邦人と同じような祈り方をしないように仰せられてから、その理由について「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」と言われました。霊的に弱っていた時のイスラエルの民はペリシテ人に支配されていること問題視していない時代、神はナジル人サムソンを与えてイエスラエルの救いを始められたのでした(士師記13章15節)神は人類が最も必要としている罪や死からの救いを与えるために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになったのでした。私たちの神は私たちの必要を一番よくご存知な方であることを忘れないようにしようではありませんか。