私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3章40節ー41節)

1.詩篇62篇5節ー8節
2.詩篇134篇1節ー3節
3.ローマ人への手紙8章32節ー39節
4.コロサイ人への手紙3章1節ー2節

サムエルがエリアブを見て「確かに、主の前で油そそがれる者だ」と思ったのですが、主は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るように見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられ、ダビデに油を注ぐように仰せられたのでした。ところで、ダビデの生涯を見るとサウル王に妬まれ命を狙われたために彼は自分の考えで逃亡生活をすることにしましたが、その際、偽りをもって祭司やアキ王を騙したり、バテシバと姦淫の罪を犯しましたが、彼は罪を犯すたびに主に立ち返ったので、使徒の働き13章22節には「私はエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」と、彼の罪についての記述はありません。私たちも私たちの心が自分の考えや思いや感情に向いてしまうと、恐れや思い悩むような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。そのような状態に陥っても主は私たちのことを見捨てることなく、父なる神の右の座に着き、とりなしていてくださっているのです。イエス様は祈る時「天にいます私たちの父よ。」と、私たちの心を天に向けるように教えておられます。今日の聖句「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」を心に据えて、ダビデのように心が萎えているような時、主のことを思い起こして主に立ち返り、祈りの手を主に向けて上げ、心から主をほめたたえ、主からの勝利と平安をいただこうではありませんか。