まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。(詩篇33篇9節)

1.創世記13節―30
2.イザヤ書46章3節ー13節
3.イザヤ書558節―11
4.マタイの福音書241節―35

ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、人は完全でなく、感情に支配されがちなので、状況によって語ったことばを否定したり、自分を保護するためにうやむやにしてしまうようなことをするようなもので、不安定なものなのではないでしょうか。しかし、神は完全な方であり、また真理の方であるがゆえに今日の聖句が「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。」と語っているように、神のことばである聖書はこの世にあって人が信頼すべきものであり、人が必要としている答えを与えてくださいます。イザヤ書55章9節―11節が「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。ー主の御告げー天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と仰せられたように、神は罪をご存知ない御子イエス様を罪人を救うために、人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死と復活をもって救いの道を、いのちの道を開かれたのですが、罪を赦すことができるのは神以外にいないことを知っていたユダヤ人にとってイエス様が罪を赦す権威をもっていることを公言したことは神を冒涜しているように思って十字架にかけたのですが、それはすでにイザヤ書53章に預言されていたのでした。ヘブル人への手紙12章10節―11節が「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめますが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときには喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます。」と語っているみことばを心に留めて主を信頼して生きようではありませんか。