私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(出エジプト記33章16節)

1.ヨハネの福音書176節―20
2.使徒の働き1023節―43
3.エペソ人への手紙21節―10
4.ペテロの手紙 第一 2章4節ー9節

アメリカをはじめさまざまな国に見られるように、人間社会には偏見や人種差別をはじめさまざまな差別の問題を抱えていますが、イエス様が「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨をふらせてくださるからです。」と仰せられたように、神は差別をする方ではありせん。ですから、パウロは、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないどころか罪の意識が生じることを語ってから、「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」と語っていますが、今日の聖句が「私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」と語っているように、「差別」ではなく「区別」されている状況があることを語っています。イエス様はイエス様を殺そうとしている選民意識のあるユダヤ人に対して「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。(ヨハネの福音書 8章44節)」と語っているように、血筋や民族に関係なく神に属する者と、世全体を支配し、人々を恐怖に陥れる悪魔や悪霊の影響を受けている人の二種類しかいないことを語っています。恐れや思い煩いが襲う時、恐れに陥れる奴隷の霊が支配しているこの世に属する者ではなく、御国の民とされていることを思い起こすとともに、どんな状況に置かれても悪魔に勝利された主がいつもともにいてくださることを思い起こし、宣教の働きを主が祝してくださり、主を信じる方が多くの起こされますように祈ろうではありませんか。