キリストは、万物をご自身に従わせることのできる能力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ人への手紙3章21節)

1.詩篇625節―11
2.コリント人への手紙 第一1550節―57
3.コリント人への手紙 第二 3章17節―18節

ペテロをはじめ弟子たちは、イエス様はご自分がキリスト(ヘブル語でメシア)、すなわちユダヤ人たちが待ち望んでいるメシアであることをだれにも言わないように仰せられてから、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを何度か話されたのですが、ペテロはイエス様に「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」と主をいさめたように彼らには理解できなかったのでした。ですから、ヨハネの福音書2章22節は「イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。」と語っています。世の人々は、死後どうなるのか皆目見当がつかない中、それでも「死」を心静かに受け入れるためにさまざまな宗教を生み出したのではないでしょうか。しかし宗教は人の知恵による哲学の領域でまことの希望、生ける希望を与えることはできませんが、死からよみがえられたイエス様がご自身を弟子たちに現されたことによってペテロは生ける望みを持つ者になっただけでなく(ペテロの手紙 第一1 章3節)、「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(ペテロの手紙 第一5章10節)」とキリスト者には永遠の栄光が与えられていることを語っています。今日の聖句「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる能力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」を心に据えて、すばらしい将来が用意されていることを感謝し、主にお会いする日を楽しみに、天を目指して前進しようではありませんか。