幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は、幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人、その霊にあざむきのない人は。(詩篇32篇1節―2節)

1.詩篇241節―6
2.詩篇5110節―13
3.ルカの福音書189節―14
4.エペソ人への手紙6章12節ー19節

神は人を最後に創造した後「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それが非常によかった。夕があり、朝があった。(創世記1章31節)」とあるように、エバが偽り者である悪魔の声に惑わされて神が禁じた善悪の知識の木から取って食べただけでなく、そばにいたアダムに与えたので、アダムは妻の声に聞き従って食べて罪を犯したために、偽り者である悪魔に支配される者となり、エレミヤ書17章9節が「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれがそれを知ることができよう。」と、また詩篇62篇4節が「彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。(詩篇62篇4節)」と語っているように、心とは裏腹なことをいうような俗に言う「本音と建前」とで生きる者となり、本当に何が幸いなのかをわからないようにしているこの世の霊に支配され、この世に固執し、この世で成功することが幸いなことと思うに仕向けられ、人をあざむくような生き方を多くの方はしているのではないでしょうか。ピリポが「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレ人の人で、ヨセフの子イエスです。」と伝えたのに、ナタナエルが「ナザレから何の良いものが出るだろう。」と言ったナタナエルのことをイエス様は「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」と仰せられました。今日の聖句は「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は、幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人、その霊にあざむきのない人は。」と、幸いなことと幸いな人について語っています。人はこの世でどんなに幸いな人生をおくっても、この世を去るまでの間、真理にそむくようなことや罪、咎を重ねながら生きており、それを取り除くことは人には不可能ですが、神は、そむきや罪や咎を取り除くために御子イエス様をこの世にお遣わしになり、イエス様を信じる者の心に聖霊を与えてくださり、あざむかせる霊の働きや恐怖に陥れるような奴隷の霊からも救ってくださったのです。すべてのキリスト者はこの世で幸いな者とされていることを心に据えて、人をあざむいたり恐怖に陥れるようなこの世の霊から解放されるために、人々にイエス様を信じる信仰が与えられるように、福音宣教の働きを主が豊かに祝し、推し進めてくださいますように祈ろうではありませんか。