ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。(詩篇68篇19節)

1.詩篇5522
2.マタイの福音書1128節―29
3.ヘブル人への手紙11章32節―12章3節

サタンは神の警告を直接聞いていなかったエバを善悪の知識の木から取って食べるように誘惑したのですが、神の警告を直接聞いていたアダムはエバの声に聞き従って食べてしまい(創世記3章17節)、人類に死が臨むことになったのですが(創世記2章17節)、ヤコブは「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(ヤコブの手紙1章14節―16節)」と、誘惑にひっかり罪を犯す原因は欲にあることを語るとともに、この世や人のことばにまどわされないように警告しています。ペテロは「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。(ペテロの手紙 第一 2章11節)」と勧告していますが、パウロが「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ人への手紙8章6節―7節)」と、また「確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。(コリント人への手紙 第二5章4節)」と、この幕屋、すなわち死によって滅びる体でこの世に生きている間は、肉の思いに支配され、真理のみことばを知っていてもみことばを実践できないで失敗をしたり、想像力を働かせて思い煩ったり、苦悩したり、恐れるなど重荷を負ってうめくことが多々ありますが、イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と呼びかけています。今日の聖句は「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」と、人は日々重荷を負って生きていることを主はご存知であるだけでなく、その重荷を主が負ってくださるという恵みを語っています。思い煩いや心配事を正直に主に申し上げるとともに、主は全生涯の罪や罪過を背負ってくださっただけでなく、日々罪に定められないように祈っていてくださることを心に留めて、罪悪感や罪責感に支配されないように恵みとまことを実現してくださった主をほめたたえて生活しようではありませんか。