イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。さまざまな異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。(ヘブル人への手紙13章9節)

1.ヨハネの福音書114節―17
2.エペソ人への手紙21節―9
3.コロサイ人への手紙21節―23
4.テモテへの手紙 第二 2章1節

箴言18章14節は「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。(口語訳:人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。)」と心のあり方が日常生活に及ぼす影響を語っています。ところで、今日の聖句は「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。さまざまな異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。」と、キリスト者に語っています。パウロは「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人への手紙2章8節―9節)」と、行いではなく、恵み以外に救われる道がないことを語っています。なぜなら、誰一人として失敗や罪を犯さない完璧な人はいないからではないでしょうか。「イエス様を信じてクリスチャンになりたいけれども、クリスチャンになったら、タバコもお酒もやめないといけないのでしょう。」と尋ねられたことがありました。「イエス様を信じるならクリスチャンになれます。」とお話ししたことがあります。パウロは「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ人への手紙5章18節)」と、「酔う」とは、通常の状態ではなく理性を失ってしまう状態になって罪を犯す危険性があることを語っていますが、タバコやお酒を飲まないことがクリスチャンの特質のように強調され、そのことが多くの男性にとって障害になったように思わされます。イエス様は恵みとまことに満ちておられる方で、私たちの弱さをよくご存じで、私たちが罪に定められないようにとりなし続けくだる方であることを心にしっかり据え、恵みから落ちることないように良心のとがめを受ける時にはローマ人への手紙5章20節「罪の増し加わるところには、恵みもあふれました」を覚え、全生涯の罪は十字架でイエス様が処理してくださった恵みを思い起こし、信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見て恵みに恵みが増し加わる人生を生きようではありませんか(ヨハネの福音書1章16節)