万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。(詩篇84篇12節)

1.詩篇404節―5
2.詩篇625節―8
3.ペテロの手紙 第一 24節―12

人は神によって創造された存在であるために、時折「神様」ということばを人々は口にするのではないでしょうか。ですから、ローマ人への手紙1章20節―23節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、神の存在を知っていても偶像を造ってそれを拝むことが敬虔なことと思っていますが、イザヤ書44章9節―11節は「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。だれが、いっさい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。」と、語っています。パウロは「ほかの人が人間的なものに頼みがあると思うなら、私はそれ以上です。」と語ってから「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」と告白しています(ピリピ人への手紙3章3節―8節)。人にはできないことが多々ありますが、主は全知全能の神ですから、信頼するに値する方です。今日の聖句が「万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。」と語っているように、主はどんな時にも、どんな状況の中にあってもいつもいっしょにいてくださる方であることを、私たちの祈りに報いてくださる方をであることを、主を信頼して生きることが幸いなことであることを心に据えて生きようではありませんか。