わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしが、あなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)

1.ヨハネの福音書1619節―33
2.ヨハネの福音書201節―21
3.ピリピ人への手紙46節―7

ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。・・・」と人が経験する両極端の状況とその両極端の間で、置かれた状況に感情が反応して喜怒哀楽を体験しながら生きることを語っています(伝道者の書3章1節―8節)。ところで、イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしが、あなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。」と仰せられました。この世が与えることのできる平安は、大丈夫でないような状態でも「大丈夫」と自分に言い聞かせる、すなわち自己催眠による気休めの範囲内によるもので、精神力の強い人にはできそうでも、人の前では気丈にふるまっていても、実際ひとりになった時には恐れから解放されることがないどころか、そのギャップに悩むような状態になるのではないでしょうか。しかし、イエス様は、この世や人が与えることができない平安を与えてくださることを約束されました。迫害され病にも冒されていたパウロの「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節)」という勧めに従って、心のうちを正直に主に申し上げるとともに、みことばを信じる信仰を与えてくださるように祈り(コリント人への手紙 第一 12章9節)、何が必要であるかをご存知な神に拠り頼んで生きようではありませんか。