神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)
1.イザヤ書55章6 節ー11節
2.ローマ人への手紙11章33節ー3 6節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.コリント人への手紙第一13章11節ー12節
人は1日24時間という時間制限の中で生きていますが、神はアルファ(初め)でありオメガ(終わり)であられ、永遠の方であるために、ペテロが「愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(ペテロの手紙第二3章8節)」と語っているように、時間に制限されるような方でないばかりか、時をも御支配されておられる方であるがゆえに「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と、神の時に、神はすべてのことを益となるようにしてくださるのです。ところで、イザヤ書55章8節ー9節に「わたしの思いは、あなたがたの想いと異なり、わたしの道はあなたがたの道と異なるからだ。ー主の御告げー天が地よりも高いように、私の道は、あなた方の道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」とあります。ですからソロモンは「神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、永遠が与えられていても、神は人の知恵では理解できない世界をお持ちであることを語っています。パウロは教会を迫害していたにもかかわらず使徒とされましたが、本人も考えたことのない道であったのではないでしょうか。私たちの人生はすべてのことを益としくださる主の御手の中にあることを心に据えて生きようではありませんか。