律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ人への手紙5章20節ー21節)
1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2.ローマ人への手紙3章19節ー28節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ヤコブの手紙2章8節ー15節
オリンピックの女子代表でエースの宮田笙子さんが、行動規律違反を受けて代表を辞退されたことや違反した経緯が昨夜報道されました。主人は「ドーピングの問題でもないのに。考えられない」と、私も赦しがないことに驚きました。彼女はきっと後悔し自分を責めておられると思います。律法学者やパリサイ人は姦淫の場で捕らえられた女性を民衆の真ん中に置いてから「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセの律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われます。」とイエス様に問うとイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われたので、民衆は出ていかれたのでした。そしてその女性に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたのでした。彼女は殺されると思われたでしょうし、自分の行いに対して後悔の念を持たれていたのではないでしょうか。主は悔いた心を軽んじられません。規則や律法には恵みがありませんがイエス様は恵みとまことを実現してくださいました。恵みを経験されたパウロのように「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」を心に据えて、後悔の念に悩むよりも、後悔する度に、後悔の念に支配されないように十字架で全生涯の罪が処理されていることを思い起こすと共に、永遠のいのちが与えられていることを感謝し、恵みの中を歩み続けようではありませんか。