人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い。人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。(エペソ人への手紙6章6節ー7節)

1.マタイの福音書6章1節ー4節
2. マタイの福音書25章31節ー40節
3.ヨハネの福音書13章1節ー17節
4.コロサイ人への手紙3章23節ー25節

ヨハネの福音書13章1節は「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」と語っています。イエス様は上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれてから、弟子たちの足を洗っただけでなく腰にまとっていた手拭いでその足をふかれ、当時奴隷の仕事であった足を洗うという行為を持って愛を示されてから、弟子たちに「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです(同章15節)」と仰せられたのでした。キリスト者を迫害していたにもかかわらず、それはイエス・キリストを迫害していたことであることを知らされたパウロは主の御心を知る者となられ、主の願っている生き方する秘訣を「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い。人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」と、心と思いをご存知なキリストをご存知ない世の人々のような生き方、自分の欲に仕え(ローマ人への手紙16章18節)、人からの栄誉を求めるような生き方をしないように勧めていますが、それを実行できなくて自分の心が責めるような時、恵みの座で神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存知であることを、主がとりなしていてくださることを思い起こし、主を誉めたたえ、主の願っている生き方をすることができるように聖霊の力を注いでくださるように主にお願いしようではありませんか。