人の道は主の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。(箴言5章21節)
1.申命記8章1節ー18節
2.詩篇139篇1節ー16 節
3.エレミヤ書23章23節ー24節
4.ヘブル人への手紙4章13節ー16節
主はモーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に上らせるためだ」とモーセに告げられるとともに(出エジプト記3章7節ー8節)、今日の聖句が「人の道は主の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」と語っているように、「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」と言われ、近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかっただけでなく(出エジプト記13章17節)、モーセが「荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」と言われたように、約束の地への道中である荒野においても主は民の先に立って民が宿営する場所を捜すために夜は火のうち、昼は雲のうちにあって進んで行く道を示されたのでした(申命記1章31節ー33節)。ダビデが「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。(詩篇62篇8節)」と勧めているように、私たちの全生涯の歩みに心を配っておられる主を信頼して心のうちを正直に申し上げ心に主からの平安をいただこうではありませんか。