律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ人への手紙5章20節-21節)
1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2. ローマ人への手紙3章19節ー28節
3.ローマ人への手紙6章6節ー23節
4.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
パウロは「律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものです。」と語りましたが、「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。・・・私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょう。」と、罪意識に悩まされましたが、十字架の恵みが、キリスト・イエスにある神の愛がいかなるものであるのかを知ることになり、「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」と結論付けられました。自分の心が責めても、全生涯の罪は取り除かれていることを、恵みによって救われ、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。