ただしい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。(詩篇37篇39節ー40節)
1.哀歌3章57節ー58節
2.マタイの福音書8章23節ー32節
3.ローマ人への手紙8章28節ー31節
4.エペソ人への手紙1章17節ー21節
今日の聖句は「ただしい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。」と語っていますが、パウロが「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と語っているように、ただしい者はキリスト者であり、主がどのような方であるのかを知っているはずですが、アマレク人と自分たちを比較して「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と神が約束された地について悪く言いふらした者たちの報告を信じて、恐れや思い煩いに襲われ、主に対する不信感を持ったイスラエルの民のように(民数記13章38節)、主よりも目に見える状況に心が奪われて、苦難のときのとりでである主を信頼せず不信感に見舞われてしまうことがあるのではないでしょうか。パウロは「神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。(エペソ人への手紙1章22節)」と、主に対抗して勝利する力は存在しないことを語っています。今日の聖句が語っているように、主は救い主であり、助け主である事を思い起こし、主を信頼して主に身をさけるようにし、主の救いを見て生きるようにしようではありませんか。