信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)

1.イザヤ書43章10節ー21節
2.ローマ人への手紙5章17節ー21節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
4.ヘブル人への手紙4章12節ー16節

パウロはコリントの教会に行った時、弱く、恐れおののいていたことを告白するとともにそのような状態の中で御霊と御力によって宣教の働きをすることができた秘訣を「あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架に付けられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」と語っています。私たちには記憶力が与えられていますから、過去を忘れることができない弱さを持っているのではないでしょうか。パウロは教会を迫害していましたら、その過去の失敗を思い出し過去に縛られていたならどうだったでしょうか。彼は「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人で会える者はみな、このような考え方をしましょう。(ピリピ人への手紙3章13節ー15節)」と勧めています。今日は一年を振り返る番組が放映されますが、今日の聖句が「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧めているように、過去を振り返って見る時、十字架のイエス様を、将来のことを思う時、死に勝利され神の栄光と神の愛を現されたイエス様がいつも、どんな時にもともにいてくださることを忘れずにいつも主を見上げて生きようではありませんか。