この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か。すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)

1.ピリピ人への手紙2章13節ー16節
2.テモテへの手紙第一2章1節ー6節
3.ヤコブの手紙1章13節ー16節
4.ヤコブの手紙4章13節ー17節

パウロはステパノのメッセージを聞いて悔い改めるよりも石を投げて打ち殺そうとした人々と同調してステパノを殺すことに賛成したのですが、キリスト者になった彼は「世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か。すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい。」と勧める人に変えられたのでした。人はとかく自分の利益を求めて生きていますが、その動機や動力が欲があるかないかにかかっているかのように思わされがちですが、テモテへの手紙第一6章9節ー10節が「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することがあらゆる悪の根だからです。」とヤコブの手紙1章14節ー「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と警告しています。エバもイエス様も悪魔の試みに会いましたが、イエス様はみことばで勝利しましたが、エバが罪を犯したのは「食べたい」という欲の問題があったからではないでしょうか。神のみこころは御霊がご存知であり、キリスト者には御霊が与えられているので、実はその志や願いが神からのものであるのかどうかわかっているのではないでしょうか。しかし、わかっていてもパウロが葛藤したように肉の力に負けてしまうことが多々あるのではないでしょうか。そのような時、自己嫌悪に陥るよりも、ヘブル人への手紙4章16節が勧めているように恵みの御座に近づく、すなわち十字架の恵みを、主に立ち返ることを主は喜ばれることを思い起こそうではありませんか。