雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章10節ー11節)

1.サムエル記第二7章8節ー16節
2.イザヤ書53章1節ー10節
3.ヨハネの福音書1章1節ー17節
4.ヨハネの福音書12章20節ー33節

人は、一生の間、何が起こるのか、自分がどんな事をするのか、どんな人になるのか、皆目見当がつかない状態で誕生しますが、イエス様の場合はご自分の一生がどのようなものになるのかを、父なる神から与えられた使命とその使命を果たすべき時をもご存知だったのでした。しかもその使命は喜ばしいものではなく、かえってご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と語られたように、その使命は人類を救うためにご自身を捧げることであり苦痛が伴うものであることをもご存知だったのでした。その問いかけに対して「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と仰られたように(ヨハネの福音書12章27節ー28節)、今日の聖句が「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と語っているように、イエス様は全く罪がないにも関わらず十字架の死にまでも従われ、神はそのイエス様を死者の中からよみがえらせて(ペテロの手紙第一1章3節)栄光を現されたのでした。人にはできない事を成就してくださった主を誉めたたえようではありませんか。