信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル人への手紙12章2節)

1.ローマ人への手紙8章18節ー25節
2.コリント人への手紙第二4章5節ー18節
3.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー12節

ヘブル人への手紙5章7節ー10節「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対してとこしえの救いを与える者となり、神によってメルキぜデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」と、律法と預言者を成就するため(マタイの福音書5章17節)、救いの道を完成するために多くの苦しみを通されましたが、今日の聖句が「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」と語っているように、神から与えられた使命を果たし、神の愛を、復活をもって神の栄光を現れたされたのでした。クリスマスは神が罪人を救うためにマリヤを用いて、御子イエス様を人としてこの世のお遣わしになられたことをお祝いする時ですが、新しいいのちが誕生するためには男性には理解できない陣痛が伴いますが、誕生した子どもを見ると、その痛みを忘れさせてしまうほどの喜びが与えられるのではないでしょうか。多くの人々は十字架と復活を思うのではなく、お祭りのひとつのように今日を楽しむことと思いますが、ヘブル人への手紙12章3節は私たちの心が元気を失ったり疲れ果ててしまわないためにイエス様のことを考えるように勧めています。クリスマス(Christmas)はキリスト(Christ)を礼拝する(Mass=ミサ)、という意味です。イエス様がなぜ人としてこの世に遣わされたのかを、十字架と復活を思い起こし、心から主を崇め礼拝しようではありませんか。