ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ち渡わたれ。アーメン。アーメン。(詩篇72篇18節ー19節)

1.サムエル記第二7章8節ー29節
2.イザヤ書53章1節ー12節
3. ローマ人への手紙11章25節ー26節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー11節

アンデレとピリポがイエス様にギリシャ人の人々が会いたい旨を伝えると、イエス様は「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば豊かな実を結びます。」とご自身を一粒の麦にたとえられててから、「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と、父から与えられた使命に生きることを告白されると、「わたしは栄光をすでに現したし、もう一度栄光を現そう。」という声が聞こえたのでした(ヨハネの福音書12章20節ー24節及び27節ー28節)。イエス様は十字架で殺されましたが、三日目に死からよみがえられ栄光を現されたのでした。パウロはイエス様が十字架の死にまで従われことにふれてから「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものの全てが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」と、主の御名がどれほど栄光に満ちているものであるのかを語っています。ダビデのように「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ち渡わたれ。アーメン。アーメン。」と申し上げようではありませんか。