ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れを知らせることができよう。(詩篇106篇1節ー2節)

1.サムエル記第二7章8節ー16節
2.詩篇71篇15節ー16節
3.使徒の働き1章3節ー8節
4.使徒の働き26章1節ー23節

今日の聖句は「ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と語っていますが、それは主がダビデにダビデの子孫について「もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。」という約束によるものであり、詩篇107篇が1節ー2節が「『主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』主に贖われた者はこのように言え。」と勧めているように、主がどのような方であるのかを、主の恵みは私たちの行いによって取り去られるものではないことを心に据えて主に感謝することは、主に贖われた者、すなわち罪や死から贖われたキリスト者の務めであることを語るとともに今日の聖句は「だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れを知らせることができよう。」と尋ねています。キリスト者になる前、パリサイ人であった時のパウロは自分の義に生き、自分の考えで物事を判断していたので、主の大能のわざがわからず、キリスト者を迫害していたのですが、恵みを知る者となり、十字架の死と復活こそ人々に伝えるべきもっとも大切なことであることを語っています(コリントひとへの手紙第一15章3節ー10節)。このクリスマスのシーズン、神が御子イエス様をこの世のお遣わしになられた意味をお分ちしようではありませんか。