義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.マタイの福音書5章17節ー20節
2. ローマ人への手紙3章19節ー26節
3.エペソ人への手紙2章14節ー18節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー9節

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と仰せられたのは、彼らの義は、自分の義であり他者を見下すようなものであり、神が認めないものであったからでした(ルカの福音書18章9節ー14節)。パリサイ人であった時のパウロは律法による自分の義に生き、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたように、平和をもたらすようなものではなく、かえって敵意をもたらすものでしたが、ダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者となられ、彼の人生は大きく変わったのでした。コロナが流行する前、主人は「平和」というテーマで天台宗の高僧の方が主催し、仏教のあらゆる宗派の高僧の方々、お坊さんが参加される大阪で持たれた宗教対話協議会に招かれたのですが、その時、仏教大学の星野教授が「私はクリスチャンではありませんが、あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(マタイの福音書5章39節&44節)、剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイの福音書25章52節)、と言われたイエス・キリストこそ平和です。」と話されたそうです。今日の聖句は「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と語っていますが、それはイエス様ご自身について語っていることがわかります。私たちには敵意を葬り去らせてくださった神の義であるイエス様が(エペソ人への手紙2章16節)与えられていることを忘れずに、心と思いが守られるようにキリストに生きるようにしようではありませんか。