わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。(箴言3章11節ー12節)

1.サムエル記第二7章12節ー15節
2. 詩篇94篇11節ー14節
3.イザヤ書53章1節ー12節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節

ダビデに対して主は世継ぎの子を与えることを約束するとともに「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、 わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵み(口語訳:慈しみ、英訳:愛)をそのように、彼らから取り去ることはない。(サムエル記第二7章14節ー15節)」と、語っているように、主の懲らしめの根底には神の愛、恵みが根底にあるために、今日の聖句は「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。」と語っています。人は冷静に考えることができる状態にあれば、子供のことを思って懲らしめるでしょうが、疲れていると冷静さを失い、懲らしめが過度になり、虐待の領域に足を滑らしてしまようなことがあるのではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章10節ー11節は「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときには喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結びます。」と、主の懲らしめは、人の懲らしめと異なっている点があること、主の懲らしめには目的があることを語っています。悩み、思い煩い、主から懲らしめられてるように思われるようなとき、放蕩息子が帰宅することを待ち望んでいた父のように(ルカの福音書15章11節ー24節)神に愛されているにも関わらず、私たちが平安を持つために神の懲らしめを受けられ(イザヤ書53章)、いつも私たちのことを心配し、とりなしていてくださる主との関係を吟味しようではありませんか。