われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。(詩篇147篇5節)

1.出エジプト記14章30節ー31節
2.イザヤ書40章27節ー31節
3. ローマ人への手紙11章25節ー12章1節
4.コリント人への手紙第一1章18節ー25 節 

ユダヤ人たちはメシアを待ち望んでいましたが、死からよみがえられたイエス様に弟子たちが「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。(使徒の働き1章6節)」と尋ねたように、彼らが考えていたのは当時ローマの支配下に置かれていたために、ローマの圧政から解放してくださるメシアを待ち望んでいたのでした。人はとかく、神は罰を与える存在と考えがちですが、神の願いはすべての人が救われて真理を知ることであるためなので(テモテへの手紙第一2章4節)、パウロのように自分の義に生きて自分が罪人であることがわからない人々、罪を犯して罪人というレッテルを貼られた人々、自己嫌悪の中にいる人、どんな状態の中にいる人でも、すべての人を救うために、まず御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになられたのでした。しかし、そのことをパリサイ人として自分の義に生きていたパウロ自身理解できずにキリスト者を迫害していたのでしたが、ダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ視力を失いましたが、真理に目が開かれ、「ああ、神の知恵とその富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章25節ー33節)」と語りました。激しい欲望にかられて「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。」と言ったイスラエルの民に混じってきた人々と同調して民がエジプトを懐かしむような事を言ったので、主は一ヶ月肉を食べさせてくださることを語ったのですが、モーセは懐疑心を持ったのですが、主はうずらを降らせたのでした(民数記11章18節ー32節)。今日の聖句「われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。」を心に据えて、理解できないようなことが起きても、主の力を過小評価してモーセのように懐疑心を起こしたり、恐れたり、思い煩ったりせず、すべてを益としてくださる主を信頼して生きるようにしようではありませんか。