悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。(箴言17章15節)

1.イザヤ書5章20節ー24節
2.マタイの福音書12章22節ー24節
3.マタイによる福音書27章11節ー26節
4.ヨハネの福音書9章1節ー38節

テレビで、鈴木宗男議員がロシアに行って「ロシアの勝利を確信している」と発言されたことにはビックリしました。かつて日本が日露の友好のために日本政府が建て、年間400万円の維持費を払っていた「友好の家」が、その事業に鈴木氏が関わっていたために「宗男ハウス」とも呼ばれていることが放映されたことを思い起こしました。人が自分の利得や自分の義に生きると、自分の考えこそが正しいと思えて、今日の聖句が「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする」と語っているように、正しい判断ができなくなって「「主が忌みきらうな」ことをしてしまうような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。パウロも自分の考えでキリスト者を迫害していたのでした。十字架につけられていたふたりの犯罪人もイエス様をののしったのですが(マルコの福音書15章32節)、イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたのでした。十字架につけられているふたりの犯罪人のうち「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と悪口を言った犯罪人に対してもうひとりの犯罪人が「おまえは神をも恐れないのか。お前も同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」とたしなめたように(ルカの福音書23章32節ー41節)、イエス様は正しい方でしたが十字架の刑に服することになったのは肉の行いである「ねたみ」によるものでしたが(マタイの福音書27章18節、ガラテヤ人への手紙5章21節)、罪人を救うために、神の愛がどのようなものなのかを明らかにされるための大きな主のご計画であったのでした。主はすべてをご存知であることを忘れず、主が喜ばれるように恵みのみことばで生きるようにしようではありませんか。