謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。(箴言22章4節)

1.列王記第一3章3節ー13節
2.伝道者の書5章10節ー20節
3.マタイの福音書6章24節ー33節
4.ヤコブの手紙4章4節ー10節

この世での富や誉れを得るために人は努力しますが、それらのものが手にはいらない場合がありますし、それらのものが手に入ると「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」宮殿の屋上を歩きながら言ったネブカデネザル王のように(ダニエル書4章30節)、自分を誇ってしまう危険性があるのではないでしょうか。主から「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたソロモンは神を愛していたので、自分のために長寿や富、敵のいのちを求めないで、主の民をさばくために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、主は知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、彼が願わなかった富も誉れをも与えることを約束されるとともに「あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」と長寿をも約束されたのでした(列王記第一3章3節ー14節)。ですからソロモンは富や誉れは神からの賜物であることを語っています(伝道者の書5章19節)。ところで、ダビデはどのように生きられたでしょうか。彼は数々の罪を犯しましたが、必ず主に立ち返ったのでした。イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と仰せられました。パウロは「神の恵みをむだに受けないようにしてください。」と勧めてから、「貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」と告白しています。イエス様を信じたことによって、この世が与えることができない富や誉れが、永遠のいのちが与えられている恵みを忘れずに、畏敬の念を持って主を誉めたたえようではありませんか。