わたしを呼べ、そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ書33章3節)

1.歴代誌第二20章12節ー17節
2.イザヤ書48章1節ー16節
3.ダニエル書2章1節ー49節
4.使徒の働き12章4節ー17節

主はいつでも祈るべきであり、失望してはならなことを教えるために、たとえとして「『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、 うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」と話されてから「不正な裁判官の言っていることをよく聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます」ということばに、神は自分のために裁判をすることにした不正な裁判官とは違う方であること、主の時があり主が行動を起こされるとそれを止める時間がないほどの速さで正しいさばきをされることを話されました(ルカの福音書18章1節ー7節)。今日の聖句「わたしを呼べ、そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」は、監視の庭に閉じ込められ自由を奪われていたエレミヤに対する主のことばで、その後、主はエレミヤに将来、主がイスラエルの民を赦し、エルサレムの繁栄を回復されることを告げたのでした。心配したり、恐れたり、思い煩うような時、主が「わたしを呼べ」と仰せられているように、主にどんな時にも失望しないで祈り、祈った者にしか体験できない恵みがある事を心に据えて、主に拠り頼み、主の平安をいただいて生活しようではありませんか。