しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)
1.詩篇23篇1節ー6節
2.ヨハネの福音書6章32節ー35節
3.ローマ人への手紙8章18節ー32節
4.ヘブル人への手紙 13章5節ー16節b
パウロは、「私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑り(うたぐり)が生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。」と語ってから「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」と語っているのは、イエス様が「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがありません。」と、仰せられたように、飢え渇きのない満ち足りる心を持つことができるのはイエス様との関係において可能であるからです。なぜなら、主は私たち以上に私たちの弱さもすべてをよくご存知で、とりなしていてくださいますし、必要なものであるなら与えてくださる良い神様であるだけでなく、パウロが「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と語っているように、私たちの失敗さえも主の手にお委ねすると、それを益としてくださる方であることを忘れなければ、満ち足りる心で信仰生活をおくれるのではないでしょうか。主がどのような方であるかを忘れないようにしようではありませんか。友人(昨日は原稿を送るのが締め切りギリギリで慌てて、知人と書いてしまいました。)からご連絡があり、名前が稲垣宣教師ではなく穂垣宣教師で、テキサスの日本人教会の牧師として数年御奉仕されてから、ご実家のある出雲で開拓するために帰国された、とのことです。お祈りを宜しくお願いいたします。皆様のお祈りに感謝致しております。