わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは、何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りを恐れている。(イザヤ書51章12節ー13節)

1.箴言29章25節ー26節
2.伝道者の書4章1節
3.コリント人への手紙第二1章1節ー4節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー12節

イスラエルの民もモーセも数々の奇蹟をエジプトで体験しただけでなく、最終的には前方には紅海、後方からはエジプト軍、と再びエジプトに引き戻されるかのような状態に陥った時、主は紅海を二つに分けて民が無事に対岸に渡り終えると、海水を元に戻されエジプト軍がひとり残らず溺死したのを見た民は主の偉大さを誉めたたえましたが、約束の地を探索した者たちのうちヨシュアとカレブ以外の者たちは、神の偉大さを忘れ約束の地について悪く言いふらしただけでなく「私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と人を恐れて民に恐れを抱かせるようなことを語り、「主にそむいてはならない。」と語ったヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたのでした(民数記13章32節ー14章10節)。ソロモンは神を考慮しないこの世を見て、しいたげる者が権力をふるい、しいたげられている者を慰める者がいない、と嘆いていますが、今日の聖句は「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは、何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りを恐れている。」と語っています。ダビデは「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)」と、パウロは「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ人への手紙8章31節)」と語っています。どんな時にも、不信仰に陥らないように、恵みとまことに満ちておられ、慰め主(ぬし)である主が私たちを負っていてくださることを(イザヤ書46章3節ー4節)忘れないようにしようではありませんか。