私の時は、御手の中にあります。(詩篇31篇15節)

1.詩篇1篇1節ー3節
2.伝道者の書3章1節ー11節
3.ピリピ人への手紙1章1節ー11節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節

「私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。」と、いのちがねらわれ、苦悩し、主の救いを求めたダビデは「私の時は、御手の中にあります。」と告白しています。ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」と、人が一生の間に経験する様々なことを対比させて語ってから「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、神の時があることを語るとともに人には理解できない世界があることを語っています(伝道者の書3章1節ー11節)。イエス様はラザロが病気であることを聞いても、すぐにラザロのもとに行かず、かえってもう「一度ユダヤに行こう」と言われ、ラザロのもとに着いたのは墓におさめられから四日も経っていたのでした。それゆえ、ラザロの姉妹たちは「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」と申し上げたのですが、主のみこころは、病を癒すのではなく、死からよみがえらせることだったのでした。パウロは「今は恵みの時、今は救いの日です。(コリント人への手紙第二6章2節)」と、篇1篇3節は「時が来ると実がなり、その葉は枯れない。」と語っています。この世にあってはさまざまなことを経験しますがダビデのように「私の時は、御手の中にあります。」と告白し、主を信頼して生きようではありませんか。