あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。ー光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのですー(エペソ人への手紙5章8節ー9節)
1.ヨハネの福音書1章1節ー13節
2.ヨハネの福音書8章1節ー12節
3.使徒の働き26章9節ー20節
4.ヨハネの手紙1章5節ー7節
イザヤは「地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ書8章22節ー9章2節 )」と語ってから、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。(イザヤ書9章6節)」と、イエス様は大きな光であり、全世界の人々を救うために御降誕されたこと、そして、どのような方であるのかを預言されたのでした。キリスト者を迫害するためにダマスコに向かっていたパウロは、その途上で、イザヤが預言されたように、太陽よりも明るく輝く天からの光を見るとともに「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」と声をかけられキリスト者となり、「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ人への手紙8章16節)」と語るとともに「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」と勧めるとともに、「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」と、光、すなわちイエス様が結ばせてくださる実がどのようなものであるのかを語っています。神の子とされていることは光の子とされていることでもあることを自覚し、世の光として輝くためにパウロが勧めているように、いのちのみことばしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。