ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネの福音書1章29節)
1.ローマ人への手紙7章25節ー8章3節及び33節ー34節
2.コリント人への手紙第一15章3節ー17節
3.コロサイ人への手紙1章13節ー14節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、人はこの世の生まれてからこの世を去るまでの間、さまざまな失敗を繰り返しながら失敗や罪を積み上げながら生きているのではないでしょうか。しかも、人には記憶力があるために、調子が良い時には今を喜んで生きることができても、何か事がうまく運ばなくて苦悩するような状態に陥ると、過去を振り返って、その原因を過去に求めて後悔しながら現在を喜ぶ事ができないような状態に自分を追い込んでしまう事があるのではないでしょうか。あわれ深い神は御子イエス様をお遣わしになられ、罪を赦されるだけでなく、ヨハネが「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」と言われたように、罪そのもの存在を消去してくださったのでした。ですから、ヘブル人への手紙10章17節ー18節は「『わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。』これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。」と語っています。間違いや失敗をしたとき、即座に恵みの座に出て十字架を仰ぎ見て、ペテロがイエス様を三度知らないということを事前にご存知でペテロのために祈られたように、すでに主がとりなしていてくださることを感謝するとともに、すべてのことを益としてくださる主の御手にそれらのことをお委ねし、パウロのように恵みを無駄にしないように、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進もうではありませんか(ピリピ人への手紙3章13節ー14節)。