苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。(詩篇120篇1節)

1.出エジプト記3章1節ー10節
2.歴代誌第二17章1節ー26節
3.マタイの福音書11章28節ー30節
4.ヤコブの手紙5章9節ー15節

ヘブル人への手紙11章6節は「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを信じなければならないのです。」と、パウロは「信仰は、聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるもです。(ローマ人への手紙10章17節)」と語っています。ですから、ヨブは神について聞いていたので、サタンからの攻撃を受けて子どもたちや財産を失っても、ご自身が悪性の腫物で苦しんでも、神をのろうことをせず、信仰に立って勝利されたのですが(ヨブ記1章ー2章)、三人の友から非難を受け苦しんだヨブは「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友はあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。数年も経てば、私は帰らぬ旅路につくからです。(ヨブ記16章19節ー22節)」と天を見上げ主に助けを求めた結果、長い沈黙の後、今日の聖句が「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」と語っているように、主からの語りかけを受けたのでした。そこで、ヨブは「私はあなたのうわさを聞いていましたが。しかし、今、この目であなたを見ました。そこで私は自分をさげすみ、ちりの中で悔いています。」と申し上げると、主が二倍の祝福を与えられただけでなく、その後、数年ではなく百四十年も生き、四代目までも見たのでした(ヨブ記38章ー42章)。心が萎えたり、元気を失ったりした時、苦悩するよりも、嘆くよりも、ヨブのように主のことを思い起こしてヤコブの手紙5章13節が「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」と勧めているように、神が喜ばれるように主は祈りに答えてくださることを信じ、感謝して祈ろうではありませんか。