私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。(ペテロの手紙第一1章3節)

1.ヨハネの福音書11章25節―26節
2.ローマ人への手紙4章25節―5章5節
3.ローマ人への手紙8章18節―25節
4.コリント人への手紙第一15章13節―17節

神はアダムに「あなた園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と、自由を与えるとともに、神の警告、すなわち神のことばに従うように話されたのですが、アダムは神のことばよりも妻のことばに従って善悪の知識の木の実を食べて罪を犯したために神が仰せられたように人類に死が入ってしまったのですが、神は他の被造物とは違って人をご自分のかたちとして創造され、いのちの息を吹き込められ、永遠を与えられたので、葬儀のときなどに「天国で安らかにお眠りください。」と話されるように死んでも完全にその存在が消滅するのではないことを人々は知っているのではないでしょうか。ですから、さまざまな宗教の指導者たちは死後について色々説を唱えましたが、それらの教えは空想話であり、気休め程度のもので、死後を保証することはできませんし、どんなにすばらしい希望があっても死は希望を失わせてしまうものですが、ペテロは「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」と語っているように、死によっても消滅しない希望があること、その保証は復活にあることを語っています。ヨハネはキリスト者に永遠のいのちを持っていることを自覚して生きることを願っています(ヨハネの手紙第一5章13節)。永遠のいのちが与えられていることを忘れないようにしようではありませんか。