神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。(ペテロの手紙第二1章2節)
1.ヨハネの福音書1章14節―16節
2.使徒の働き13章16節―43節
3.ローマ人への手紙5章17節―21節
4.ヘブル人への手紙4章15節―16節
パリサイ人であった時のパウロは神に対して熱心でしたが、神が、イエス・キリストがどのような方かわからずキリスト者を迫害していたのですが、救いは行いによるものではなく恵みによるものであることを知る者となり(エペソ人への手紙2章1節―9節)、ユダヤ人や神を敬う改宗者たちに神の恵みにとどまるように勧めたのでした(使徒の働き13章26節―43節)。それはパウロ自身の生き方でもありました。パウロは、いつも良いことをしたいと思っても、それを実行できない自分に悩み「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と告白しましたが、「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。」と、自分から目を離して神とキリストを見ることによって、死からよみがえられたイエス様がとりなしていてくださるので、罪に定められることがないばかりか、どんなものをもってしてもキリスト・イエスにある神の愛から引き離すことができないという確信をもったのでした(ローマ人への手紙7章18節―25節8章33節―39節)。三度イエス様を否定したペテロだからこそ「神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」と祈っているのではないでしょうか。後悔するようなことをして悩むような時、パウロが「罪の増し加わるとことに恵みも満ちあふれました。」と語っているように、十字架の恵みを思い起こし、恵みとまことを実現され、この世が与えることのできない平安を与えてくださるイエス様が聖霊なる神として内住しておられることを感謝するとともに、あわれみ豊かな神に愛されていることを喜んで生きるようにしようではありませんか。