キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないかは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。(ガラテヤ人への手紙5章6節)

1.使徒の働き15章1節―12節
2.ローマ人への手紙8章33節―39節
3.ガラテヤ人への手紙5章1節―14節
4.ヘブル人への手紙12章2節―4節

金持ちの青年がイエス様に「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねると、イエス様は「なぜ良いことについてわたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです」と(マタイの福音書19章16節ー17節)、群衆がイエス様に「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」と尋ねたように人はとかく行いを考えてしまいがちですが、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と、行いよりもイエス様を信じること、しかもそれは神の働きによるものであることを話されました(ヨハネの福音書6章28節ー29節)。ところで、ヘブル人への手紙11章1節は信仰について「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と、今日の聖句は「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないかは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」と、いわゆるこの世が考えているような何でもいいからとにかく信じれば良い、というような信仰ではなく、愛を基としたもの、しかも、その愛は「アガぺ」すなわち、十字架で示された神の愛を示しています。ですから、愛によって働く信仰はキリストにあってはじめで可能となるのではないでしょうか。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使も、権威ある者も、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章38節―39節)」と、十字架に示された神の愛を知ったパウロのように、信仰の創始者であり完成者であり神の愛をお示しくださったイエス様を仰ぎ見て、神に愛されていることを確信し、神が喜ばれるように今与えられている信仰で生きようではありませんか。