喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。(ローマ人への手紙12章15節―16節)

1.使徒の働き2章29節―47節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
3. ピリピ人への手紙1章29節―2章11節
4.ヤコブの手紙2章1節―9節

パウロは、イエス様とその生きざまを知る者となり、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。」と、キリスト者のあるべき生き方を勧告しています。ところで、肉の思いに支配されると、喜ぶ者といっしょに喜んでいるように振る舞っても、心の中にはねたみが起きてしまう可能性がありますし。一方、泣く者といっしょに泣くことは容易にできるかのように思わされますが、ヨブにふりかかたすべてのわざわいを聞いて悔やみをいって慰めようとヨブを訪問した三人の友はヨブの状態を見ていっしょに泣きましたが、七日七夜いっしょにいながら、慰めのことばも、祈ることもしなかったばかりか、ヨブを責めるようなことをしたのでした。教会はこの世にあるあらゆる団体(宗教団体を含め)と違います。なぜなら、教会はキリストのからだであり、キリスト者はひとりひとりがそのからだを構成する器官だからです。指が怪我をするとすぐにその指を口に当てて痛みを和らげようとしますし、何かうれしいことがあると笑顔で顔が輝いたり、体全体が喜びを示すのではないでしょうか。福音書の弟子たちはイエス様と寝食をともにし、十字架と復活のことも知らされていましたが、彼らはだれが一番偉いかなどと議論するような状態で一つ心にはなっていませんでしたが、御霊が下り、御霊に満たされた弟子たちや弟子たちに加わった3000人は聖霊を受けたために心一つにして主をほめたたえたのでした。今日の聖句が実践できる秘訣は、ひとりひとりがキリストの体の一部であることを自覚し、御霊を悲しませないように、信仰の完成者はイエス様であることを感謝し、信仰においてもすべての面において他のキリスト者と自分を比較しないように生きることではないでしょうか。