主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わまえのない者を賢くする。(詩篇19篇7節)
1.詩篇23篇1節―3節
2.詩篇119篇97節―104節
3.箴言30章5節―6節
4.テモテへの手紙第二3章14節―15節
人の考や価値観は国によって時代によって変わるために、人はとかく人のことばにほんろうされて心が右往左往し、安定を欠いてしまうようなことがあるのではないでしょうか。なぜなら、人は神のように完全ではなく、パウロが「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めていません。(ピリピ人への手紙2章21節)」と語っているように、自分の益となることを追い求めて生きるからではないでしょうか。ところで、箴言30章5節―6節は「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように。あなたがまやかし者とされないように。」と、警告しています。ところで、パウロが「私たちは、多くの人のように、神の言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです(コリント人への手紙第二2章17節)」と、当時コリントにおいてパウロのように主のご臨在を、主がお聞きくださっているということを心にかけず、人の歓心をかおうとするようなメッセンジャーがいたことを語っています。ペテロは「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(ペテロの手紙第一2章2節)」と語っています。イエス様は十字架の死と復活を語られただけでなく、ご自身のからだをもって主のことばがいかに真実であるかを証明されたのでした。今日の聖句「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わまえのない者を賢くする。」を心に据えて、いのちのことばを、真理のみことばをしっかり握って生きようではありませんか。