雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章10節―11節)

1.マタイの福音書16章15節―27節
2.ヨハネの福音書13章18節―19節
3.ヨハネの福音書16章31節―17章20節
4.ピリピ人への手紙2章6節―11節

パウロは「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。それが時至ってなされたあかしなのです。(テモテへの手紙第一2章4節―6節)」と、神の願いが何であるかを語るとともに神の願いを成功させるために、イエス様は人として十字架の死にまでも従われたことを語っていますが(ピリピ人への手紙2章6節―8節)、それはたやすいものではなくご自身を一粒の麦にたとえられた時も(ヨハネの福音書12章24節及び27節)、ゲッセマネの園での祈りの時などは恐れもだえ苦しみながら「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」と祈られたのでした。主は「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と仰せられましたが、神のことばである聖書が成就するために苦しまれ、ご自身をお捨てになられたのでした。しかし、イエス様の生涯は死で終わったのではなく三日目に死からよみがえられ主の栄光を現され、人類に罪の赦しと永遠のいちを、生ける希望を与えられただけでなく、みことばに生きることができるように助け主である聖霊を与えられたのでした。みことばに生きようと思う思いと、その思いに挑戦する肉の思いや感情の間で心が揺れ動くとき、イエス様でさえ、苦難を回避したい思いと聖書の預言を成就しようとする思いに揺れ動かれたことを思い起こしながら、世の光として輝くために、勝利を与えてくださるいのちのみことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。