良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。(ルカの福音書8章15節)

1.エゼキエル書36章25節―27節
2.マタイの福音書15章1節―12節
3.ヘブル人への手紙10章14節―24節
4.ヤコブの手紙1章19節―25節

イエス様は群衆と弟子たちに「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うには言うが、実行しないからです。(マタイの福音書23章1節―3節)」と仰せられましたが、その原因はみことばを知っていても心が主から離れていたことにあるのではないでしょうか((マタイの福音書15章1節―12節)。今日の聖句は「良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです」と心の問題を語っています。ところで、良心はきよいものと思いがちですが、ヘブル人への手紙10章22節は「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰を持って、真心から神に近づこうではありませんか。」と、邪悪なものであることを語っています。ですから、聖霊によって新しく生まれ変わる必要があることを聖書は語っています(エゼキエル書36章27節 ヨハネの福音書3章1節−7節、ローマ人への手紙15章16節)。キリスト者の心には聖霊が内住しておられるので正しい、良い心が与えられているのですが、みことばを実行するためにはイエス様がゲッセマネでもだえ苦しんで祈られたように、痛みがともないますが、豊かな実を、平安な義の実を結ぶために、聖霊を悲しませたり、聖霊の働きを消すようにことをしないために、信仰の創始者であり完成者であり、罪人を救うために罪人たちの反抗を忍ばれたイエス様を見上げて生きようではありませんか。