あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙第一6章20節)

1.イザヤ書43章1節―7節
2.ヨハネの福音書16章12節―14節
3.ピリピ人への手紙3章17節―21節
4.ペテロの手紙第一4章12節―14節

イエス様は「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。(ヨハネの福音書7章18節)」と、二種類の栄光があることを仰せられたました。ところで、パウロは「あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」と、キリスト者には神の栄光を現す使命があることを語っていますが、そのためには「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。(ヨハネの福音書17章4節)」と、仰せられたイエス様を模範にする以外に道はないのではないでしょうか。イエス様は、ゲッセマネの園で「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」と深く恐れもだえながらも父なる神に申し上げたのでした。パウロは「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ人への手紙12章1節9)」と語っています。キリスト者には聖霊が与えられているのでイエス様と同じように「アバ。父」と神に呼びかけることができます。イザヤ書43章7節に「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」とあります。キリスト者は神の栄光のためにキリストにあって新しく造られていることを、イエス様がどのようにして神の栄光を現されたかを思い起こし、主が喜ばれるように生きて、神の栄光を現そうではありませんか。