わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイの福音書5章17節)

1.使徒の働き13章32節―39節
2.ローマ人への手紙7章19節―8章4節
3.ローマ人への手紙10章1節―4節
4.ガラテヤ人への手紙3章8節―14節

イエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と仰せられたように、律法を第一に「神を愛すること」、第二に「隣人を愛すること」の二つに集約され、イザヤ書9章6節やイザヤ書53章に預言されているように、神でありながら人としてこの世に御降誕され、自分を愛したのではなく、罪人を救うために十字架の死にまでも従われて神のみこころを実践され、人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と取りなして祈られ、神を愛し、隣人を愛する生き方を実践されたのでした。第二の戒めである「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」を、隣人を愛するためにはまず自分を愛することが大切なように誤解釈される方がおられますが、「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と、どの戒めを守るべきかを尋ねた青年に、イエス様が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられると、彼は「そのような戒めは守っています。」と答えたので、「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そのうえで、わたしについて来なさい。」と仰せられると、彼は多くの財産を持っていたので悲しんで去ってしまったように、自分では隣人を愛していると思っていましたが、隣人ではなく自分の財産を愛していたのでした(マタイの福音書19章16節―22節)。みことばに従えないようなことがあっても、そのことを主に申し上げる前に、私たちの弱さをご存知なイエス様は信仰がなくならないように取りなしていてくださることを、律法ののろいからも贖われアブラハムの祝福に与かる者とされていることを(ガラテヤ人への手紙3章13節―14節)感謝して生きようではありませんか。