私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.コリント人への手紙第一15章3節―10節
2.エペソ人への手紙2章1節―9節
3.テモテへの手紙第一1章12節―17節
4.テモテへの手紙第二1章3節―13節

福音書の弟子たちは汚れた霊どもを制する権威を授けられイスラエルの民に「天の御国が近づいた」と宣べ伝えるように遣わされ、群衆にはたとえで話されたことの真意を教えられていたにもかかわらず、誰が一番偉いか、などと議論をしていたのですが、聖霊に満たされた彼らは自分を誇ったり、他の弟子たちと比較したりするような生き方から解放されたのでした。ペテロは生まれつき足のなえた人がいやされたのは、自分の力とか信仰深さではないこと、神が死者の中からイエス様をよみがえらされたことを話されてから「このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人をみなさんの前で完全なからだにしたのです。(使徒の働き3章4節―16節)」と証されたのでした。パリサイ人であった時のパウロは自分の義に生き、自分の考えでキリスト者を迫害していましたが、キリスト者になった彼は「神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章10節)」と証しするとともに、「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と勧告しています。キリスト者ひとりひとりは、キリストのからだの一部であることを心に据えて、他者と比較するようなことをせず、恵みとまことに満ちておられる主を仰ぎ見て生きようではありませんか。