主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。(詩篇18篇2節―3節)

1.マタイの福音書7章15節―27節
2.ローマ人への手紙8章15節―24節
3.エペソ人への手紙6章10節―17節
4.コロサイ人への手紙2章7節―9節

今日の聖句の冒頭に「指揮者のために、主のしもべダビデによる。主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った。」と王となったにもかかわらず、彼はご自分のことを主に仕える者であるという自覚をもって「主のしもべ」と語っています。確かに、彼の生涯を見ると、多くの戦いがあったことを思いますが、彼は、窮地に追い込まれると常に主に立ち返り勝利を得る人生を歩まれたのですが、その秘訣は「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」と、主がどのような方であるかを語るとともに何度も「わが」「わが」と、主との個人的な関係にあることを語っています。ところで、すべての要素はキリストを示唆しているのではないでしょうか。パウロも激しく迫害され、死を覚悟するほどの苦しみを受けただけでなく、時にはキリスト者からも低く見られるようなことがありましたが、彼は「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できることでしょう。(ローマ人への手紙8章31節)」と語るとともに「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。(コロサイ人への手紙2章7節)」と、勧めています。ゆるがない人生を歩むためにイエス・キリストが土台となっておられキリストとの関係はすでに確立されていることを(コリンと人への手紙第一3章10節ー11節)、ダビデのように主に仕えるしもべであることを心に据え、主を誉めたたえて生きようではありませんか。