いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かしたのである。(ヨハネの福音書1章18節)

1.ヨハネの福音書1章1節―4節及び14節
2.ヨハネの福音書10章22節―30節
3.ヨハネの福音書14章6節―11節
4.コロサイ人への手紙1章13節―20節

申命記34章10節に「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。」とありますが、神は柴の中からモーセに語られ、出エジプト記33章11節に「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。」とありますが、モーセが「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」とお願いしても、神が「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからだ。」と仰せられてから「あなたはわたしのうしろを見るであろうが、わたしの顔は決して見られない。(出エジプト記33章18節―23節)」と仰せられたことから、「顔と顔」という表現は神とモーセの間には誰も介入できないほど親しい関係であることを意味しているのではないでしょうか。ですから、今日の聖句は「いまだかつて神を見た者はいない。」と語る一方、「父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かしたのである。」と、御子イエス様によって神がどのような方であるかを知ることができるだけでなく、「わたしと父とはひとつです(ヨハネの福音書10章30節)。わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネの福音書14章9節)」と仰られたように、神を見る生活が与えられたのでした。日々神を見て生きるために、パウロが「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8節)」と勧めているように、逆境の時だけでなく、高ぶりから守られるために順境のときにも十字架の死をもって神は愛であることを証明された恵みとまことに満ちておられ、信仰の完成者であるイエス様のことを忘れないようにしようではありませんか。