みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブの手紙1章22節)

1.エゼキエル書36章26節―27節
2.ヨハネの福音書14章12節ー26節
3.コリント人への手紙第一15章3節―10節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節 

イエス様は群衆に「律法学者やパリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。」と、律法学者やパリサイ人たちは「重い荷」すなわち、モーセの律法以外のこと、すなわち人間の教えを教えとして教えるようなことをし(マタイの福音書15章9節)、人からの栄誉を求めるような行いをしていることを指摘され、「わざわいだ偽善の律法学者やパリサイ人」と仰せられるとともに、師はただひとり、キリストしかいないこと、やがて彼らによって十字架につけられることを話されたのでした(マタイの福音書23章1節― 34節)。今日の聖句は「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と、人の言い伝えではなく、みことばを実行するように勧めていますが、エゼキエル書36章37節にはそれを可能とするのは「わたしの霊」すなわち御霊であることを語っています。聖霊に満たされたパウロはみことばを実行できない原因は肉の思いであることを知り、肉の思いと神の律法を喜んでいる内なる人と板挟みになり苦悩しましたが、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」と勧めています。私たちの師であるイエス様が聖書の預言、すなわち、みことばを成就するために、恵みとまことを実現するために、ゲッセマネの園でもだえ苦しんで祈られ、ご自身を父に委ね、十字架を忍ばれたことを思い起こすとともに、みことばに生きることができるように御霊に助けていただこうではありませんか。