わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.コリント人への手紙第一6章19節―20節
2.コリント人への手紙第二3章6節ー18節
3.ガラテヤ人への手紙6章12節―16節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節

イエス様は「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と、ご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ御名の栄光を現してください。」と、申し上げると、その時「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」という天からの声を聞かれたのでした(ヨハネの福音書12章23節―28節)。神はイエス様を死からよみがえらされて栄光を現されたのですが、その過程において多くの苦しみによって従順を学ばれ、死にいたるまで従順になられ、十字架の死をも受け入れたのでした。死からのよみがえりは死があってはじめて成り立つものではないでしょうか。今日の聖句は「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と、キリスト者は神の栄光のために、御霊によって新しく生まれさせていただいただけでなく、形造られる、すなわち主ご自身が喜ばれる器に形造られるためにさまざまな信仰の試練を通して錬りきよめられることを(エレミヤ書18章4節−5節、ペテロの手紙第一1章6節―7節)心に据えて、イエス様がご自身を父に委ねられたように、私たちも私たち自身を主に明け渡して、キリスト・イエスにつく者として生きるようにしようではありませんか。