主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。(ヘブル人への手紙2章18節―3章1節)

1.ピリピ人への手紙2章3節―11節
2.テモテへの手紙第二2章3節―8節
3.ヘブル人への手紙5章1節―10節
4.ヘブル人への手紙12章2節―4節

ヤコブは「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(ヤコブの手紙1章12節―16節)」と警告しています。確かに試みる者は神ではなく悪魔や人であることをヨブ記やイエス様に対するパリサイ人や律法学者、大祭司やユダヤ人の行動に見ることができます。バラバの代わりに十字架につけられたイエス様はユダヤ人にたちの陰謀に負けたかのように思わされますが、三日目に死からよみがえられ、悪魔にもこの世にも勝利されたのでした。ヤコブは「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全な者となります。(ヤコブの手紙1章2節―4節)」とも語っています。今日の聖句が「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」と勧めているように、試練や試みに会っている最中はなかなか喜ぶことができませんが、イエス様の生涯を思い起こし、すべてのことを益としてくださる主に拠り頼んで生きようではありませんか。